貴方の身の周りに、こんな人はいないだろうか?
「上司」でも「部下」でも、同じようなキャラクタが存在すると思う。
うまく説明できそうに無いので1つのケースを簡単な例で示すと...
仕事でも遊びでもいいのだが、1つの決められた重要な事案(ルールでも規則でも作業工程でもいい)を、その人間に貴方が説明したとしよう。
貴方は、その人間の技術力や能力を鑑みて、その1つの事案だけさえ守られていれば、それ以外は何とかなるし、何か起こっても自分で何とか出来得るだろうと、かなり妥協的な負担を覚悟している。
そして、いざフタを開けてみると、あれだけ懇切丁寧に説明し、さらに、その重要性を理解したという意思表示があったのにも関わらず、それが全く守られていない、実現していないのである。
貴方は当然、その点を指摘する。
すると、その人間のリアクションは
「え~?聞いてませんよ?」
貴方の開いた口は塞がらない。
その後、どのように説教しようとも「聞いてないものは守りようがない。やりようがない」と言うのだから、水掛け論と化す。
責任の在処は、ヘタをすると、「管理不行届き」「指導不足、説明不足」という名の「評価」に変貌して、貴方に降り掛かってくるのである。
まるで、「貸金請求」の「民事訴訟」で被告つまり借主が「借りた記憶がありません」と否認したような状況に追い込まれる。この場合は、まだ「甲1号証(借用証書など)他」の真正や請求の趣旨を、貸主である原告側が、立証すれば、それで事足りるが、仕事上のヤリトリを電子メモで録音している人間も少ないだろうから、タチが悪いのは言うまでもない。
こういう不条理が、身の周りで、頻発すると、人間不信になってしまうよな?
いや、最近の我がポジションは、こんな事案に遭遇するようなところに無いので、現在進行形の自らの愚痴ではない。他人の愚痴を聞いていて、その昔の苦労話を、ふと思い出しただけの事で、今では他人事の1つでしかない。
それが幸せな事なのか不幸せなのはの判断は自分ではつかない。
「上司」でも「部下」でも、同じようなキャラクタが存在すると思う。
うまく説明できそうに無いので1つのケースを簡単な例で示すと...
仕事でも遊びでもいいのだが、1つの決められた重要な事案(ルールでも規則でも作業工程でもいい)を、その人間に貴方が説明したとしよう。
貴方は、その人間の技術力や能力を鑑みて、その1つの事案だけさえ守られていれば、それ以外は何とかなるし、何か起こっても自分で何とか出来得るだろうと、かなり妥協的な負担を覚悟している。
そして、いざフタを開けてみると、あれだけ懇切丁寧に説明し、さらに、その重要性を理解したという意思表示があったのにも関わらず、それが全く守られていない、実現していないのである。
貴方は当然、その点を指摘する。
すると、その人間のリアクションは
「え~?聞いてませんよ?」
貴方の開いた口は塞がらない。
その後、どのように説教しようとも「聞いてないものは守りようがない。やりようがない」と言うのだから、水掛け論と化す。
責任の在処は、ヘタをすると、「管理不行届き」「指導不足、説明不足」という名の「評価」に変貌して、貴方に降り掛かってくるのである。
まるで、「貸金請求」の「民事訴訟」で被告つまり借主が「借りた記憶がありません」と否認したような状況に追い込まれる。この場合は、まだ「甲1号証(借用証書など)他」の真正や請求の趣旨を、貸主である原告側が、立証すれば、それで事足りるが、仕事上のヤリトリを電子メモで録音している人間も少ないだろうから、タチが悪いのは言うまでもない。
こういう不条理が、身の周りで、頻発すると、人間不信になってしまうよな?
いや、最近の我がポジションは、こんな事案に遭遇するようなところに無いので、現在進行形の自らの愚痴ではない。他人の愚痴を聞いていて、その昔の苦労話を、ふと思い出しただけの事で、今では他人事の1つでしかない。
それが幸せな事なのか不幸せなのはの判断は自分ではつかない。